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癒縄 命羅のロープヒーリング

緊縛~癒しの力と美しさを求める人へ

 存在証明6

存在証明6


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 私は、京様に蜜柑と名付けてもらいました。本当はこんな女です。

会社で、五十五歳の常務に言われた。

「氏原さん、俺の女にならないか。」

 冗談を言い、笑ってごまかしたが、その後の気まずい雰囲気は軽くやり過ごせるものでもない。なんといっても私は札幌の子会社から特別採用になった三年目の社員で、常務は人事と商品仕入れの責任者。充分、毎日会う。そして常務から、印鑑や印刷物の知識を習う。二十四歳の私には東京でそんな役員と仕事をするのも初めてだったし、五十五歳の常務は、あの一言以外は、極めて仕事の出来る感じのする人物だった。なおさら、気まずい感じがする。外見は、歳の割には若く見えて、ダークカラーのスーツと趣味の悪くないネクタイ。淡いイエロー系のシャツに磨かれた靴。悪くないのだろう。髪の毛はロマンスグレーという程ではないが、程良く白と黒が混じっている。変ではない。おじさま趣味の女性にはもてるかもしれない。が、やはりタイプではないし、気まずい。
もしかすると、私自身のヒールが高いのもあって、制服のスカートが他の人より短く見えてしまうのも、余計なひと言の原因だったのだろうか。とにかく、その膝上十センチ程になっている水色のタイトスカート、ベスト、中には白いブラウス。黒いスタンダードだけどヒール高めなパンプス。肌色のストッキング。そんな出で立ちで同期の三人と一緒に常務の説明を聞くのだった。とりあえず、土日は休み。つまり明日と明後日は休みだった。
 会社から池袋駅までは徒歩三分、山手線にのって新宿駅、そこから家まで徒歩四分程だ。駅の西側のそこそこの繁華街にある小さな古めの小奇麗なアパート。その二階の真ん中の部屋に住んでいる。二階三部屋、一階三部屋、アパートの外に階段がある普遍的な木造モルタル一部鉄骨の建物だ。私はそこに住めるだけでも幸せだと思っている。そこは居間八畳の他にはキッチン兼ダイニングの四畳半、あとはトイレとお風呂しかないが、私一人のスペースとしては特に狭くはなかった。とにかく、会社から家に着くと、靴を脱いですぐにスカートとパンストを脱ぎ、着なれたGパンになる。上の方も適当に脱ぎ棄てて長袖のシャツやトレーナーになる。素足が気持ちいいのだ。パンプスは皮の中でどうも足が蒸れていけない。女の人でも水虫がいると聞いた時はあり得ないと思っていたが、就職してみて、初めてそれがどういうことなのか想像できた。ちょっと自分の汗の匂いを感じながら、冷蔵庫を開けて、ローズヒップとハイビスカスのブレンドハーブティーを大きめのグラスに注ぐ。氷を五個いれる。居間に移動して、床に座る。ローテーブルにグラスを置いて、テレビをつける。衛星放送の映画チャンネル。天使が人間界にいてダンスを踊っているらしい。しかも汗の匂いが焼きたてのクッキーの香りらしく、女の子はメロメロになっている。私の足からほのかに上る靴の皮の匂いとは全然違うのだろう。とにかく、ハーブティーを飲み、口と鼻の中を素敵な香りで満たす。テーブルに常備してある小型の籐の籠からチロルチョコをつまむ。キャラメル味。大きく息を吐き出す。
 
五十五歳。父親も生きていたらそのくらいのはずだった。札幌に住んでいた私。八歳の時に父親が死に、母と二人になった。だが、父親の事は心の中で今も大きく残っている。傷。さして大きくもない一軒家を購入した父は、最初はまともだった。多分。五歳くらいの時は、胡坐をかいた父の膝の上にチョコンとすわり、後ろから抱き締めてもらっていた。その日、保育園であった楽しい事や嫌な事、先生の話し、帰ってきてからの母親との話し。父はいつも優しく聞いてくれていた。

六歳の誕生日の事はとてもよく覚えている。そのあたりは父と母が毎日のように喧嘩をしていた。といっても、父が母を殴りつけるという感じではあった。母は、何か言おうとしていたが、痛みと恐怖がそれをさせなかったのだろう。とにかく原因、その多くは私自身のせいの様に感じたこともあった、私が選択する事があると、その怯えは倍増された。父と母はいつも私に言うアドバイスが違い、そのどちらかを選ぶと必ずその日、喧嘩になった。とにかく、私の誕生日に父が母に向かって、私の誕生日プレゼントの携帯ゲーム機を投げつけて、家から出て行ったのは忘れようもない。ゲームは母の横をすり抜け、壁に激突して、まだスイッチを入れてもいなかったが、液晶画面が取れていた。その日から父はあまり家に帰ってこなくなった。


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七歳のひな祭り。父は五日ぶりに家に来た。会社の女の人を家につれてきた。彼女はおそらく二十四、五歳くらいで、脚がとても長く、そしてスカートがとても短かった。母は父になにやら玄関でいっていたが、先に通された彼女は私のところにきて、雛ケーキをくれた。彼女はにこにこして私を見つめた後、ソファーの方に歩いていった。その後ろ姿は、スカートから少しお尻の下の所が出ていた。当時はこの人はお金がないんだな、と思ったが今はそうではないと分かる。彼女は下着を着けていなかった。私の身長でしかわからなかったかもしれないが、一二五センチの私の目線は露骨に彼女の核心部分を目にしてしまった。私は驚いたが、とにかく、この人の給料がもう少し増えたらいいと思った。そうしたら、スカートやパンツが買えると思った。だから父が一緒に夕飯を食べる様にすすめた時、母が嫌な顔をした事が残念だった。今、思えば、本当に残念なのは父の人格だった。


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七歳の誕生日、父は一人で家にやってきた。一か月ぶりくらいだった。母は具合がよくなくて、父と二人で宅配のピザを食べた。当時の私の家にとってそれは高いもので、誕生日の素敵さを少し実感した。父はプレゼントにシンデレラのドレスをくれた。玩具屋で売っているディズニーのやつだ。でも全然うれしくなかった。多分、五歳くらいの私だったら嬉しかったのにと思った。もう一年くらい服を買ってもらってない私はそんなドレスではなく、新しいシャツ一枚の方がきっと嬉しかった。父は私と母がどんな暮らしをしているか知らなかったのだろう。母は結局、薬が効いて起きられずに、その日は久しぶりに父の横で眠った。すごくイビキがうるさくて、多分、もう父の横では寝ないと思った。それから、父の右手から女の人のお化粧の匂いが微かにして、なんとなく、涙が出た。


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七歳のクリスマスイブ。この日、小学校の終業式で通信簿をもって私は急いで帰ってきた。成績が初めて、全ての項目で「大変よい」になった。その時までは音楽の「楽器を感情をこめて演奏する」の項目だけが「よい」だったからだ。ちなみに一年生のときから「あと少し」をもらったことは一度もなかった。私は勉強していた。それしかすることがないせいもあったが。とにかく、母に見せたくて走って家に帰った。母はクリスマスケーキを買って待っていてくれるはずだったし、誕生日の時にケーキがなかった分、おいしいアイスクリームも用意してくれるって言っていた。父は福岡って所に出張で行っているから帰ってこないらしい。というか、もう三カ月くらいあってない。とにかく、父よりも早く母に話したかった。玄関をあけると、ケーキの箱があった。フジヤって書いてあってかわいい女の子が舌をぺろっとだしている。大きさは思ったより小さかった。母を呼びながら家に入ると、誰もいない雰囲気がした。ストーブもついていなくて、寒い。外はクリスマスらしい雪がしんしんと降っていた。コンビニで九八〇円で買った小さなツリーの三つしかないライトがわずかに点滅していた。電池が切れそうなのだろう。暗かった。
とにかくお昼ご飯の時間なので、なにか買い物に行ったのかなって最初は思った。でもケーキと一緒に買ってくればいいのにな。私が帰ってきた時はいてほしかった、なんて思って、洗面所に手を洗いにいった。石鹸をつけて、泡をたてて、ぬるま湯になった蛇口から出る水で手をすすいでいた時、目の前の鏡に映った真っ赤な湯船。そして、色の薄い母の顔。きっと私は叫んだと思う。本当のところは覚えてないから、そう思う。それから、立てなくなって、ハイハイで母の近くにいくと、左手が湯船の中にあったので、出してあげた。呼んでも呼んでも母は起きなくて、私はハイハイのまま電話のところへ行こうとしたけど、世界がぐるぐるぐるぐる回ってしまって、うまく目的の所に行けなかったような気がする。気が付いたら、ジャンパーも着ないで、ハイハイのまま外に出て、雪の上で犬みたいに大声で叫んでいた。隣のおばさんがすぐにやってきて、何か話してたけど、私が覚えているのは「おふろおふろおふろおふろおふろ」って何回も言ったこと。その後おぼえているのは、大分時間がたってから、隣のおばちゃんが病院で、お母さんは死なない、助かるらしい、みたいな事を私に言ってくれた事。おばちゃんが家に泊めてくれるっていったけど、私は本気でことわって、一人でイブの夜をすごした。父には電話したけど、留守電だった。とにかく一人でイブを過ごすには意味があった。

だって、母と約束してたから。ケーキたべて、アイスたべて、きよしこの夜を歌って、クリスマスが本当は神様の誕生日なんだって説明をきいて、でもサンタさんにも一応、感謝して、母のふとんで久しぶりに一緒に寝るって。約束していたから。だから、全部一人でやった。辞典でイエス・キリストって調べて、二年くらい前に誰かからもらった「絵本でわかるイエス様」っていうのを読んで、きっとその感動でずっと泣いていた。人間の罪を全部背負って天国へ帰るなんて、ふつうはできない。すごい。すごいイエス様。涙がでます。母の布団に一人で入って、天井を見て、なんか滲んで見えて。
だから、思った。どうして、私は一人なのでしょう、どうして父は帰ってきてくれないのでしょう。どうして母は今日、自殺しようとしたのでしょう。どうして、どうして私―――――誰か、私を愛してください。イエス様助けてください。お母さん抱きしめて。学校がんばったねって笑って、二年も同じジャンパーだから買ってくれるって言っていたよね。私の作るインスタントラーメン最高に美味しいって言っていたよね。朝ごはんだって、いつも頑張って作っているでしょう。私の卵焼きが美味しいって言ってくれたよね。昨日作ったカレーライスが焦げちゃったからかな、私頑張って次は焦げないようにつくるから。あと、私のお嫁さん姿みたら、嬉しくて飛びあがっちゃうって言っていたよね。お母さん、お願い、今すぐ抱き締めに来て。お父さん助けに来て。涙が止まらないのはどうしてなのかを、こんな風に分からせないで。






誰か私を愛してください、お願いします。どうかお願いします。










なんて、思った。イエス様のすごさを文章で知った最高に幸せなクリスマスだった。
本当は七歳の私は、神様なんかいないって思った。でも死にたくなかったし。だから死ぬほど愛して欲しかった。他の家の子供みたいに、新しい服を着て学校に行きたかったし、おやつだって、たまには一〇〇円ショップのではない本物のポッキーとか食べたかったし。お風呂だって、三日に一回とかじゃなくて、毎日入って、クラスの女の子みたいにいい匂いの髪の毛で学校に行きたかった。隣の席のケンジ君と臭くないか気にしながら話すのはやめたかった。それから、希望としては、クリスマスには温かい家で家族でご飯を食べるだけでもきっと涙がこぼれるくらい嬉しかったのに。そうあってほしかった。





 つまり、父は五歳まで、最高の父だった。





続く

2 Comments

さおり  

まさか、泣かせられるなんて

いつも読んでいる割には、初めてコメントさせていただきます。
SMいいなーって思って読んでいましたし、プレイ内容が過激だなって思ってちょっとドキドキしていました。

なのに、なんでしょう。
今日は涙がとまりません。
まさか、ここで泣かされるとは思いませんでした。
続きをとても楽しみにしています。

2013/11/22 (Fri) 17:46 | EDIT | REPLY |   

命羅  

さおりさん。コメントありがとうございました。涙でたって事は、優しい人なんですね。これからも宜しくお願いします。(*^.^*)

2013/11/26 (Tue) 13:39 | EDIT | REPLY |   

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