居場所としてのバーがあり、仲間たちがいる。
居場所としてのSMバー、よくこの世界で聞かれる言葉だ。
尊敬する大阪の蒼い人も言っていた。
札幌にもフェティッシュ系、SM系、スワップ系などそれぞれのバーがあり、
私はインモラルバー扉という店をメインとしてお邪魔していた。
故人となったマスターの鷹木氏は
少なくとも、バーのマスターとしてはとても気の利く人だった。
穏やかに昭和歌謡、と、いっても徳永や他のアーティストが出している
カバーアルバムが多かったが、落ち着いた曲調のBGMが多く、ゆったりと出来る店だった。
たくさんの仲間たちがそこにはいたし、たくさん笑ったし、話した。
たくさん縛った。ショーにもご依頼いただき出演させていただいた。
写真も何枚も飾っていただいた。
すすきので、間違いなく私の居場所の最重要なひとつだった。
倒れる前の日に、井上陽水のコンサートに行く話しをしていた。
その日が彼を見た最後になり、追悼の臨時オープンの時には
家族の体調不良で行けなかった。
でも、なんとなく、仲間たちは惜しみつつも楽しく過ごしたのだろうと思う。
そういう店だった。
画像は時間たっているけど、扉に飾ってもらっていた女の子の物。
もうちょっと、色々な話をしたかった、そう思う。